紅茶の魔法


あさこの家では、それまで紅茶を飲む習慣などなかった。けれど、友だちの小百合ちゃんに教わって、あさこはその紅い色をしたお茶をお母さんにせがんだ。お母さんは少しびっくりしたあと、台所に消えていった。そうしてしばらくすると、綺麗な白いカップを素敵な香りを放つ紅茶で満たして持ってきてくれたのだ。あさこがひどく喜んだのでお母さんは笑って、それからほぼ毎日、こうやっておやつの時間に紅茶を出してくれるようになったのだ。

「ただいま、お母さん!紅茶いれて!」
今日も、あさこは紅茶を楽しみにして学校から帰ってきた。お母さんはおかえり、と苦笑して手を洗うように促す。あさこは超特急の速さで手洗いをすませると、すぐに台所に飛んできた。あさこは昔から、一度好きになったものは飽きるまで手を離さない性格だった。
「ねえ、あのね!今日ね、小百合ちゃんに聞いたの。お花の浮かんだ紅茶もあるんだって!」
「へえ、そうなの。お母さんも飲んだことないなあ」
あさこがさっそく仕入れてきた情報を報告すると、お母さんはおかしそうに笑った。あさこがこんなに紅茶を好きになるなんて思っていなかったのだ。ふと、お母さんは気にするように時計を見た。そして、振り返ってあさこに言った。
「あのね、ちょっとお母さんこれから買い物に行かなきゃならないの。だから今日は1人でおやつしてね」
すでに紅茶をいれ始めていたお母さんの言葉を聞いて、あさこは少しだけ悲しそうな顔をしたあと、ウン、とうなずいた。ここのところおばあちゃんの調子が悪かったから、きっとそのせいだろう。あさこはお気に入りのティーカップを出して用意すると、お菓子の棚を開けた。
「あれ?これなに?」
昨日まで見かけなかった綺麗なお菓子が、棚の中に入っていた。お母さんは紅茶を蒸らしながらふりかえると、ああ、と声をもらした。
「さっき浅沼のおばちゃんがくれたのよ。最近あさこが紅茶を飲むようになったって言ったから、おみやげにって。きれいなクッキーでしょ?」
あさこはウン、ともう一度うなずくと、自分の胸がどきどきいっているのに気がついた。こんなきれいなクッキーは、初めて見たのだ。
「ちゃんとしたメーカーのものみたいよ。出して食べてごらん」
お母さんは準備を終えてカップに紅茶をさらさらと流し込んでいた。あさこは眺めていたクッキーの包みを取り出して棚を閉め、すぐに可愛いお皿にクッキーを置いてみた。思ったよりも似合っているみたいだ。
「それじゃお母さん、お買い物行って来るね。あさ、お留守番よろしくね」
「ウン!」

お母さんを見送ってから、あさこは紅茶とクッキーを持って庭に出た。庭には小さな白いテーブルとイスが置いてあって、あさこは常々そこで紅茶を飲んでみたいと思っていたのだ。お母さんがいる時は、汚いからってなかなか出させてもらえない。あさこにはべつに汚れているふうには見えなかったのだけれど、お母さんには汚れて見えるようだった。テーブルに紅茶とクッキーを置いて、イスに腰かける。庭には太陽の明るい光が差し込んで、キラキラと綺麗だ。
「えへへ」
あさこは思わず口からこぼれた笑い声を手で押し戻した。何となく周りを確認してしまったけれど、お母さんは出かけてしまっている。気を取り直して紅茶をのぞきこむと、いつものいい香りがした。あさこはこぼさないようにゆっくりカップを持ち上げると、やけどしないように少しだけ紅茶をすすった。口の中は素敵な香りでいっぱいになった。

と、その時、目の前で何かが動いた気がした。あさこは驚いて、もう少しでカップを落としそうになったけれど、なんとか持ち直した。指が少し熱い。
「あれ…気のせい?」
首を傾げて瞬きしても、今度はなにも動いたようには見えなかった。あさこはもう一度カップに口をつけた。
「あ、あつっ」
火傷には気をつけなきゃ。もう少しで唇が溶けてしまうところだ。あさこはカップを置いて口元を拭うと、さっそくさっきのクッキーに手を伸ばした。クッキーは四角くて、可愛らしいマークが入っている。
「いただきまーす」
ぱくっ、と一口かじると、クッキーは口の中でしっとりとした生地をほつれさせた。あさこはその美味しさに驚いて、ただ口をもぐもぐを動かした。

すると、今度は本当に何かが動いた。ぱっと、あさこのカップの後ろに何かが隠れたのが見えたのだ。あさこはびっくりして、少しの間様子をうかがっていたけれど、やがてカップをそうっとどかしてみた。するとそこにいたのは…
「……お、おねがい、僕を食べないで…」
小さな人だった。あさこの手のひらのサイズしかない。
「…あなた、だれ?」
あさこが少し困って尋ねると、小さな人はびくりと震えてこう言った。
「ひっ、…ぼ、僕は、ティズ。あの、その…美味しそうなクッキーだったから…」
クッキー?あさこは可愛いお皿にのったクッキーをみやった。
「あ、あの…」
「ごめんなさい!この子のことは見逃して!」
小さな人(ティズ?)が何か言いかけた時、ちょうど同じサイズの小さな人がもう一人飛び出してきた。あさこはますます目を瞬かせて、飛び出してきた方を不思議そうに見つめた。
「わたしはピロロ。わたしたちは妖精なの」
「えっ?」
その言葉を聞いてあさこは更に驚いた。小さな人(ピロロ?)はかぶっていた小さな帽子を脱ぐと、礼儀正しく胸元に手をやってお辞儀をした。そして顔をあげると少しあさこのことを見つめて、ぎゅっと手に力をいれたようだった。
「信じて貰えないかもしれないんだけど、わたしたち、イギリスっていう国の妖精なの。ロビンっていう人間の家族と住んでいたんだけど、その人たちが引っ越すからって」
「…つ、ついてきちゃったんだ、思わず…」
ピロロの言葉を続けるように、ティズが小さな声でもごもご言った。あさこは曖昧にあいづちを打ってみたが、本当のところ、「イギリス」がどこの国かも、「ろびん」がどんな意味かも、よくわからなかった。けれど、その小さな妖精たちの愛らしい姿にひかれて、にっこり笑った。
「妖精さんなの?わたしはあさこ!」
妖精たちは二人で顔を見合わせると、ほっとしたようにため息を落とした。二人はその場に腰を下ろすと、同じようににこっと笑う。
「よろしくね、あさこ。それで、その…」
「なあに?」
「イギリスではね、お茶の時間っていうのがあるの…、みんなで紅茶を飲むんだけれど。それで、ね?その時にお菓子も出てくるんだけど…」
「僕たち、いつもそれをわけてもらってたんだ。だから、そのぅ…」
またティズが言葉を引きついで続けた。最初は首を傾げるだけのあさこだったが、お皿の上の可愛いクッキーを見てから妖精たちを眺めると、あ、と小さくつぶやいた。
「もしかして、これが欲しいの?」
二人は少し顔を赤くしておなかを抱えてみせた。そのおなかからは、小さく、ぐううと鳴く声がする。あさこは明るく笑うと、クッキーを1つつまんで、ぱっきりと割ってやった。そして、それぞれに持たせてやる。可愛いクッキーの模様はわからなくなってしまったけれど、ピロロとティズの顔がぱあっと明るくなったので、あさこも思わず笑ってしまった。

二人はしばらく何も言わないで、クッキーをぱりぱりと食べていた。あさこは頬杖をついてそれを眺めて、たまに笑った。二人はすべて食べ終えてしまうと、満足気にあさこを見上げた。
「ありがとう、あさこ!わたしたち、三日間何も食べてなくて…」
「いたずらする力すらでなかったんだよ!」
また二人は交互にしゃべって、楽しそうに笑う。
「あさこ、お礼にいいものをあげるね」
ピロロが小さな袖をまくって、手を宙に突き出した。あさこにはピロロがなにをしているのかわからなかったが、ティズはそれを見てニヤリと笑った。そして同じように腕まくりし、手を突き出した。二人はまったく同じ動きで手をにぎると、ゆっくりその手を持ち上げて、手を離した。

すると、小さな光がぱちりと瞬いた。あさこはびっくりして一瞬目を閉じて、そろりと目を開いた。
「さあ、あさこ。僕たちからのお礼だよ!」
妖精たちの間には、小さな可愛いポーチが置いてあった。それはいつの間にか現れていた。あさこはよくわかっていなかったけれど、これは妖精たちのやんちゃな魔法の力だった。
「もらって…いいの?」
あさこが少しためらって聞くと、二人は同時にうなずいた。だからあさこはそのポーチをそっと手にとって、中をのぞきこむ。そこにあったのは…
「じゃあね、あさこ!」
「ばいばい!」
「えっ、まって!」
二人は風が吹くとさあっと消えてしまった。あさこはしばらく呆然としてしまって、紅茶が冷めているのにも気づかなかった。

カチャンと、玄関がなった。
「あら、あさこ!何してるの!」
びっくりして振り向いたあさこの元にお母さんがやってきて、少しだけ呆れた顔をして笑う。
「そんなにここでお茶したかったの?」
「…え?ウン…」
あさこは慌てて答えたけれど、お母さんの声はあまり聞いていなかった。あさこが見ていたのは、ピロロとティズがくれたポーチの中だった。
「あら?可愛いポーチね。どうしたの?」
「…なんか、もらった?みたい」
あさこが曖昧に答えると、お母さんは不思議そうに首を傾げた。そして冷めたティーカップとクッキーののっていたお皿を片付け始める。
「何が入ってるの?」
あさこがあんまりいつまでもポーチの中をのぞきこんでいたので、お母さんがもう一度たずねた。庭はもう薄暗くなってきていて、太陽がさいごの光をチカチカと空に放っていた。あさこはポーチの口を閉めて、抱くようにぎゅうっとした。
「お花の入った紅茶!」
あさこは幸せいっぱいに笑うと、部屋にかけていった。







あとがき
これも三題噺。課題でした。ちょっと長い。
お題は「妖精」「お茶の時間」「お菓子」。
どうもお題に添えてないような気がしますが、まあ今更ですよね。
しかしロビンさんってだれだ。


2007.06.01








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